夢十夜

夢十夜

By 夏目漱石

Published in 1908

This collection of ten connected stories or dreams has a surrealistic atmosphere. Some are weird, others are grotesquely funny. Among the ten nights, the first, second, third, and fifth nights start with the same sentence "This is the dream I dreamed." Whether Sosecki actually had these dreams or whether they were complete fictions is not known.

第一夜

こんな夢を見た。

 腕組をして枕元にっていると、に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、のらかなをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと云った。自分もにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上からき込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼をけた。大きなのある眼で、長いに包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒なの奥に、自分の姿がに浮かんでいる。

 自分はきるほど深く見えるこの黒眼のを眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕のへ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにたまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。

 じゃ、の顔が見えるかいとに聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。

 しばらくして、女がまたこう云った。

「死んだら、めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星のをに置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。またいに来ますから」

 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。

「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」

 自分は黙っていた。女は静かな調子を一段張り上げて、

「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。

「百年、私の墓のに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

 自分はただ待っていると答えた。すると、黒いのなかにに見えた自分の姿が、ぼうっとれて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長いの間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。

 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きなかなのどい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。った土のもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。

 それから星のの落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちているに、が取れてかになったんだろうと思った。きげて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。

 自分はの上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸いを眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分はした。

 しばらくするとまたのがのそりとって来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。

 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、のえた丸い石を眺めて、自分は女にされたのではなかろうかと思い出した。

 すると石の下からに自分の方へ向いて青いが伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりとぐのに、心持首をけていた細長い一輪のが、ふっくらとを開いた。真白なが鼻の先で骨にえるほど匂った。そこへの上から、ぽたりとが落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露のる、白いにした。自分が百合から顔を離すに思わず、遠い空を見たら、の星がたった一ついていた。

「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

第二夜

こんな夢を見た。

 の室をがって、いに自分の部屋へ帰るとがぼんやりっている。をの上に突いて、灯心をき立てたとき、花のようながぱたりと朱塗の台に落ちた。同時に部屋がぱっと明かるくなった。

 のはの筆である。黒い柳を濃く薄く、とかいて、むそうな漁夫がをけて土手の上を通る。にはのがっている。き残した線香が暗い方でいまだにっている。広い寺だからとして、がない。黒いに差すの丸い影が、くに生きてるように見えた。

 をしたまま、左の手でをって、右を差し込んで見ると、思った所に、ちゃんとあった。あれば安心だから、蒲団をもとのごとくして、その上にどっかりった。

 お前はである。侍なら悟れぬはずはなかろうとが云った。そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前は侍ではあるまいと言った。人間のじゃと言った。ははあ怒ったなと云って笑った。しければ悟った証拠を持って来いと云ってぷいとをむいた。しからん。

 隣の広間の床にえてある置時計が次のを打つまでには、きっと悟って見せる。悟った上で、今夜またする。そうして和尚の首と悟りとにしてやる。悟らなければ、和尚の命が取れない。どうしても悟らなければならない。自分は侍である。

 もし悟れなければする。侍がしめられて、生きている訳には行かない。に死んでしまう。

 こう考えた時、自分の手はまた思わずの下へった。そうしての短刀をきり出した。ぐっとを握って、赤い鞘を向へ払ったら、冷たいが一度に暗い部屋で光った。いものが手元から、すうすうと逃げて行くように思われる。そうして、ことごとくへ集まって、を一点にめている。自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のようにめられて、の先へ来てやむをえずってるのを見て、たちまちぐさりとやりたくなった。の血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束がにちゃにちゃする。がえた。

 短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて、それからを組んだ。――曰くと。無とは何だ。めとはがみをした。

 奥歯を強くみめたので、鼻から熱い息が荒く出る。こめかみが釣って痛い。眼は普通の倍も大きく開けてやった。

 が見える。行灯が見える。が見える。和尚のがありありと見える。をいてった声まで聞える。しからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。無だと云うのにやっぱり線香のがした。何だ線香のくせに。

 自分はいきなりを固めて自分の頭をいやと云うほどった。そうして奥歯をぎりぎりとんだ。から汗が出る。背中が棒のようになった。のが急に痛くなった。膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。はなかなか出て来ない。出て来ると思うとすぐ痛くなる。腹が立つ。無念になる。非常にしくなる。涙がほろほろ出る。ひとに身をの上にぶつけて、骨も肉もめちゃめちゃにいてしまいたくなる。

 それでも我慢してじっと坐っていた。えがたいほど切ないものを胸にれて忍んでいた。その切ないものが中の筋肉を下から持上げて、毛穴から外へ吹き出よう吹き出ようとるけれども、どこも一面にがって、まるで出口がないような残刻極まる状態であった。

 そのうちに頭が変になった。ものも、畳も、も有って無いような、無くって有るように見えた。と云ってはちっともしない。ただに坐っていたようである。ところへ隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。

 はっと思った。右の手をすぐ短刀にかけた。時計が二つ目をチーンと打った。

第三夜

こんな夢を見た。

 六つになる子供をってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼がれて、になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるでである。しかもだ。

 左右はである。は細い。の影が時々に差す。

「へかかったね」と背中で云った。

「どうして解る」と顔をろへ振り向けるようにして聞いたら、

「だってが鳴くじゃないか」と答えた。

 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。

 自分は我子ながら少しくなった。こんなものをっていては、この先どうなるか分らない。どこかゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出すに、背中で、

「ふふん」と云う声がした。

「何を笑うんだ」

 子供は返事をしなかった。ただ

「さん、重いかい」と聞いた。

「重かあない」と答えると

「今に重くなるよ」と云った。

 自分は黙って森をにあるいて行った。田の中の路が不規則にうねってなかなか思うように出られない。しばらくするとになった。自分はの根に立って、ちょっと休んだ。

「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。

 なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左りヶ、右とある。だのに赤い字がかに見えた。赤い字はの腹のような色であった。

「左が好いだろう」と小僧が命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へげかけていた。自分はちょっとした。

「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。腹の中では、よくのくせに何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。

「だからってやるからいいじゃないか」

「負ぶってってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない」

 何だかになった。早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。

「もう少し行くと解る。――ちょうどこんな晩だったな」と背中でのように云っている。

「何が」とどい声を出して聞いた。

「何がって、知ってるじゃないか」と子供はけるように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれどもとは分らない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。

 雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実もらさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。

「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」

 雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚えず留った。いつしか森の中へっていた。ばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。

「さん、その杉の根の処だったね」

「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。

「文化五年だろう」

 なるほど文化五年辰年らしく思われた。

「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」

 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、として頭の中に起った。おれはであったんだなと始めて気がついたに、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

第四夜

広い土間の真中に涼み台のようなものをえて、そのに小さいが並べてある。台は黒光りに光っている。には四角なを前に置いてさんが一人で酒を飲んでいる。は煮しめらしい。

 爺さんは酒の加減でなかなか赤くなっている。その上顔中つやつやしてと云うほどのものはどこにも見当らない。ただ白いをありたけやしているからと云う事だけはわかる。自分は子供ながら、この爺さんの年はいくつなんだろうと思った。ところへ裏のからに水をんで来たさんが、で手をきながら、

「御爺さんはいくつかね」と聞いた。爺さんはったをみ込んで、

「いくつか忘れたよ」と澄ましていた。神さんは拭いた手を、細い帯の間にんで横から爺さんの顔を見て立っていた。爺さんはのような大きなもので酒をぐいと飲んで、そうして、ふうと長い息を白い髯の間から吹き出した。すると神さんが、

「御爺さんのはどこかね」と聞いた。爺さんは長い息を途中で切って、

「の奥だよ」と云った。神さんは手を細い帯の間にんだまま、

「どこへ行くかね」とまた聞いた。すると爺さんが、また茶碗のような大きなもので熱い酒をぐいと飲んで前のような息をふうと吹いて、

「あっちへ行くよ」と云った。

「かい」と神さんが聞いた時、ふうと吹いた息が、を通り越して柳の下を抜けて、の方へに行った。

 爺さんが表へ出た。自分もから出た。爺さんの腰に小さいがぶら下がっている。肩から四角な箱をの下へ釣るしている。のをいて、浅黄のしを着ている。だけが黄色い。何だか皮で作った足袋のように見えた。

 爺さんが真直に柳の下まで来た。柳の下に子供が三四人いた。爺さんは笑いながら腰から浅黄のを出した。それをのように細長くった。そうしての真中に置いた。それから手拭のに、大きな丸い輪をいた。しまいに肩にかけた箱の中からでらえたのを出した。

「今にその手拭がになるから、見ておろう。見ておろう」として云った。

 子供は一生懸命に手拭を見ていた。自分も見ていた。

「見ておろう、見ておろう、好いか」と云いながら爺さんが笛を吹いて、輪の上をぐるぐる廻り出した。自分は手拭ばかり見ていた。けれども手拭はいっこう動かなかった。

 爺さんは笛をぴいぴい吹いた。そうして輪の上を何遍も廻った。をてるように、抜足をするように、手拭に遠慮をするように、廻った。そうにも見えた。面白そうにもあった。

 やがて爺さんは笛をぴたりとやめた。そうして、肩に掛けた箱の口を開けて、手拭の首を、ちょいとんで、ぽっとりんだ。

「こうしておくと、箱の中でになる。今に見せてやる。今に見せてやる」と云いながら、爺さんが真直に歩き出した。柳の下を抜けて、細い路を真直に下りて行った。自分は蛇が見たいから、細い道をどこまでもいて行った。爺さんは時々「今になる」と云ったり、「蛇になる」と云ったりして歩いて行く。しまいには、

 「今になる、蛇になる、

  きっとなる、笛が鳴る、」

といながら、とうとう河の岸へ出た。橋も舟もないから、ここで休んで箱の中の蛇を見せるだろうと思っていると、爺さんはざぶざぶ河の中へり出した。始めはくらいの深さであったが、だんだん腰から、胸の方まで水にって見えなくなる。それでも爺さんは

 「深くなる、夜になる、

  真直になる」

と唄いながら、どこまでも真直に歩いて行った。そうしても顔も頭ももまるで見えなくなってしまった。

 自分は爺さんがへ上がった時に、蛇を見せるだろうと思って、の鳴る所に立って、たった一人いつまでも待っていた。けれども爺さんは、とうとう上がって来なかった。

第五夜

こんな夢を見た。

 何でもよほど古い事で、に近い昔と思われるが、自分がをして運悪くたために、になって、敵の大将の前に引きえられた。

 その頃の人はみんな背が高かった。そうして、みんな長い髯をやしていた。革の帯をめて、それへ棒のようなを釣るしていた。弓はの太いのをそのまま用いたように見えた。も塗ってなければきもかけてない。めてなものであった。

 敵の大将は、弓の真中を右の手で握って、その弓を草の上へ突いて、を伏せたようなものの上に腰をかけていた。その顔を見ると、鼻の上で、左右のが太くっている。その頃と云うものは無論なかった。

 自分はだから、腰をかける訳に行かない。草の上にをかいていた。足には大きなをいていた。この時代の藁沓は深いものであった。立つとまで来た。そのの所はを少しして、房のように下げて、歩くとばらばら動くようにして、飾りとしていた。

 大将はで自分の顔を見て、死ぬか生きるかと聞いた。これはその頃の習慣で、にはだれでも一応はこう聞いたものである。生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うとしないと云う事になる。自分は死ぬと答えた。大将は草の上に突いていた弓を向うへげて、腰に釣るした棒のようなをするりと抜きかけた。それへ風にいたが横から吹きつけた。自分は右の手をのように開いて、を大将の方へ向けて、眼の上へ差し上げた。待てと云う相図である。大将は太い剣をかちゃりとに収めた。

 その頃でも恋はあった。自分は死ぬ前に一目思う女にいたいと云った。大将は夜が開けてが鳴くまでなら待つと云った。鶏が鳴くまでに女をここへ呼ばなければならない。鶏が鳴いても女が来なければ、自分は逢わずに殺されてしまう。

 大将は腰をかけたまま、篝火を眺めている。自分は大きなを組み合わしたまま、草の上で女を待っている。夜はだんだんける。

 時々篝火がれる音がする。崩れるたびにえたようにが大将になだれかかる。真黒なの下で、大将の眼がぴかぴかと光っている。すると誰やら来て、新しい枝をたくさん火の中へげんで行く。しばらくすると、火がぱちぱちと鳴る。をきすような勇ましい音であった。

 この時女は、裏のの木にいである、白い馬を引き出した。を三度でて高い背にひらりと飛び乗った。もないもないであった。長く白い足で、をると、馬はいっさんにけ出した。誰かが篝りをぎしたので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものをけて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹をっている。馬はの音が宙で鳴るほど早く飛んで来る。女の髪は吹流しのようにの中に尾をいた。それでもまだのある所まで来られない。

 するとな道ので、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。女は身をに、両手に握ったをうんとえた。馬は前足のを堅い岩の上にとみ込んだ。

 こけこっこうとがまた鳴いた。

 女はあっと云って、めた手綱を一度にめた。馬はを折る。乗った人と共にへ前へのめった。岩の下は深いであった。

 蹄のはいまだに岩の上に残っている。鶏の鳴くをしたものはである。この蹄のの岩に刻みつけられている間、天探女は自分のである。

第六夜

がの山門でを刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりにをやっていた。

 山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹がめに山門のを隠して、遠い青空までびている。松の緑との門が互いにり合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端をにならないように、に切って行って、上になるほど幅を広く屋根までしているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。

 ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。そのでも車夫が一番多い。をして退屈だから立っているに相違ない。

「大きなもんだなあ」と云っている。

「人間をえるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。

 そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王をるのかね。へえそうかね。ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。

「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でもよりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻をって、帽子をらずにいた。よほど無教育な男と見える。

 運慶は見物人の評判には委細なくとを動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔のをしきりにりいて行く。

 運慶は頭に小さいのようなものを乗せて、だか何だかわからない大きなをでっている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。

 しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、

「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王とれとあるのみと云う態度だ。れだ」と云ってめ出した。

 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、

「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。の妙境に達している」と云った。

 運慶は今太いをの高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯をに返すや否やすに、上から槌をちした。堅い木をとみにって、厚いが槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっいた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。そのの入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念をんでおらんように見えた。

「よくああに鑿を使って、思うようなや鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したからのように言った。するとさっきの若い男が、

「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中にっているのを、との力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。

 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王がってみたくなったから見物をやめてさっそくへ帰った。

 道具箱からとを持ち出して、裏へ出て見ると、せんだってので倒れたを、にするつもりで、にかせた手頃なが、たくさん積んであった。

 自分は一番大きいのを選んで、勢いよくり始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪をっから彫って見たが、どれもこれも仁王をしているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王はっていないものだと悟った。それで運慶がまで生きている理由もほぼ解った。

第七夜

何でも大きな船に乗っている。

 この船が毎日毎夜すこしのなく黒いを吐いてを切って進んで行く。じい音である。けれどもどこへ行くんだか分らない。ただ波の底からのような太陽が出る。それが高い帆柱の真上まで来てしばらくっているかと思うと、いつの間にか大きな船を追い越して、先へ行ってしまう。そうして、しまいにはのようにじゅっといってまた波の底に沈んで行く。そのたんびにい波が遠くの向うで、の色にき返る。すると船はじい音を立ててそのをかけて行く。けれども決して追つかない。

 ある時自分は、船の男をまえて聞いて見た。

「この船は西へ行くんですか」

 船の男はな顔をして、しばらく自分を見ていたが、やがて、

「なぜ」と問い返した。

「落ちて行く日を追かけるようだから」

 船の男はからからと笑った。そうして向うの方へ行ってしまった。

「西へ行く日の、は東か。それはか。出る日の、は西か。それも本真か。身は波の上。。流せ流せ」としている。へ行って見たら、水夫が大勢寄って、太いをっていた。

 自分は大変心細くなった。いつへ上がれる事か分らない。そうしてどこへ行くのだか知れない。ただ黒いを吐いて波を切って行く事だけはたしかである。その波はすこぶる広いものであった。もなくく見える。時にはにもなった。ただ船の動くだけはいつでも真白にを吹いていた。自分は大変心細かった。こんな船にいるよりいっそ身を投げて死んでしまおうかと思った。

 はたくさんいた。たいていは異人のようであった。しかしいろいろな顔をしていた。空が曇って船が揺れた時、一人の女がにりかかって、しきりに泣いていた。眼を拭くの色が白く見えた。しかしにはのような洋服を着ていた。この女を見た時に、悲しいのは自分ばかりではないのだと気がついた。

 ある晩の上に出て、一人で星を眺めていたら、一人の異人が来て、天文学を知ってるかと尋ねた。自分はつまらないから死のうとさえ思っている。天文学などを知る必要がない。黙っていた。するとその異人がのにあるの話をして聞かせた。そうして星も海もみんな神の作ったものだと云った。最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。自分は空を見て黙っていた。

 或時サローンにったらなを着た若い女が向うむきになって、をいていた。そのに背の高い立派な男が立って、唱歌をっている。その口が大変大きく見えた。けれども二人は二人以外の事にはまるでしていない様子であった。船に乗っている事さえ忘れているようであった。

 自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが――自分の足がを離れて、船と縁が切れたそのに、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。自分はでも応でも海の中へ這入らなければならない。ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。しかしまえるものがないから、しだいしだいに水に近づいて来る。いくら足をめても近づいて来る。水の色は黒かった。

 そのうち船は例の通り黒いを吐いて、通り過ぎてしまった。自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とをいて黒い波の方へ静かに落ちて行った。

第八夜

床屋の敷居をいだら、白い着物を着てかたまっていた三四人が、一度にいらっしゃいと云った。

 真中に立って見廻すと、四角な部屋である。窓が二方にいて、残る二方に鏡がっている。鏡の数をしたら六つあった。

 自分はその一つの前へ来て腰をおろした。するとがぶくりと云った。よほど坐りが好くできた椅子である。鏡には自分の顔が立派に映った。顔のには窓が見えた。それからがに見えた。格子の中には人がいなかった。窓の外を通るの人の腰から上がよく見えた。

 庄太郎が女を連れて通る。庄太郎はいつの間にかパナマの帽子を買ってっている。女もいつの間にらえたものやら。ちょっと解らない。双方とも得意のようであった。よく女の顔を見ようと思ううちに通り過ぎてしまった。

 がを吹いて通った。喇叭を口へあてがっているんで、ぺたがにされたようにれていた。膨れたまんまで通り越したものだから、気がかりでたまらない。蜂に螫されているように思う。

 芸者が出た。まだをしていない。島田の根がんで、何だか頭にりがない。顔も寝ぼけている。が気の毒なほど悪い。それでをして、どうも何とかですと云ったが、相手はどうしても鏡の中へ出て来ない。

 すると白い着物を着た大きな男が、自分のろへ来て、とを持って自分の頭を眺め出した。自分は薄いをって、どうだろう物になるだろうかと尋ねた。白い男は、にも云わずに、手に持ったので軽く自分の頭をいた。

「さあ、頭もだが、どうだろう、物になるだろうか」と自分は白い男に聞いた。白い男はやはり何も答えずに、ちゃきちゃきと鋏を鳴らし始めた。

 鏡に映る影を一つ残らず見るつもりで眼をっていたが、鋏の鳴るたんびに黒い毛が飛んで来るので、恐ろしくなって、やがて眼を閉じた。すると白い男が、こう云った。

「は表の金魚売を御覧なすったか」

 自分は見ないと云った。白い男はそれぎりで、しきりと鋏を鳴らしていた。すると突然大きな声でと云ったものがある。はっと眼を開けると、白い男のの下に自転車の輪が見えた。人力のが見えた。と思うと、白い男が両手で自分の頭を押えてうんと横へ向けた。自転車と人力車はまるで見えなくなった。鋏の音がちゃきちゃきする。

 やがて、白い男は自分の横へ廻って、耳の所をり始めた。毛が前の方へ飛ばなくなったから、安心して眼を開けた。や、餅やあ、餅や、と云う声がすぐ、そこでする。小さいをわざとへあてて、を取って餅をいている。粟餅屋は子供の時に見たばかりだから、ちょっと様子が見たい。けれども粟餅屋はけっして鏡の中に出て来ない。ただ餅を搗く音だけする。

 自分はあるたけの視力で鏡のをき込むようにして見た。すると帳場格子のうちに、いつの間にか一人の女が坐っている。色の浅黒いの濃いな女で、髪をしにって、ののかかったで、のまま、のをしている。札は十円札らしい。女は長いを伏せて薄いを結んで一生懸命に、札の数を読んでいるが、その読み方がいかにも早い。しかも札の数はどこまで行っても尽きる様子がない。の上に乗っているのはたかだか百枚ぐらいだが、その百枚がいつまで勘定しても百枚である。

 自分はとしてこの女の顔と十円札を見つめていた。すると耳の元で白い男が大きな声で「洗いましょう」と云った。ちょうどうまい折だから、椅子から立ち上がるや否や、の方をふり返って見た。けれども格子のうちには女も札も何にも見えなかった。

 を払って表へ出ると、の左側に、なりのが五つばかり並べてあって、その中に赤い金魚や、の金魚や、せた金魚や、った金魚がたくさん入れてあった。そうして金魚売がそのにいた。金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、を突いて、じっとしている。騒がしいの活動にはほとんど心を留めていない。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めていた。けれども自分が眺めている間、金魚売はちっとも動かなかった。

第九夜

世の中が何となくざわつき始めた。今にもが起りそうに見える。焼け出されたが、夜昼となく、屋敷のをれると、それを夜昼となくがきながらかけているような心持がする。それでいて家のうちはとして静かである。

 家には若い母と三つになる子供がいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。の上でをいて、黒いをって、勝手口から出て行った。その時母の持っていたのが暗いに細長く射して、の手前にある古いを照らした。

 父はそれきり帰って来なかった。母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも云わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようになった。母が「いつ御帰り」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云う言葉を何遍となく繰返して教えた。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々は「御父様はどこ」と聞かれて「今に」と答える事もあった。

 夜になって、が静まると、母は帯をめ直して、の短刀を帯の間へ差して、子供を細帯で背中へって、そっとりから出て行く。母はいつでもを穿いていた。子供はこの草履の音を聞きながら母の背中で寝てしまう事もあった。

 の続いている屋敷町を西へって、だらだら坂をりくすと、大きながある。この銀杏をに右に切れると、一丁ばかり奥に石の鳥居がある。片側はで、片側はばかりの中を鳥居まで来て、それを潜り抜けると、暗い杉のになる。それから二十間ばかり敷石伝いに突き当ると、古い拝殿の階段の下に出る。に洗い出されたの上に、大きな鈴のがぶら下がって昼間見ると、その鈴のにと云う額がっている。八の字が、が二羽向いあったような書体にできているのが面白い。そのほかにもいろいろの額がある。たいていはのものの射抜いたを、射抜いたものの名前に添えたのが多い。たまにはを納めたのもある。

 鳥居をると杉のでいつでもが鳴いている。そうして、の音がぴちゃぴちゃする。それが拝殿の前でやむと、母はまず鈴を鳴らしておいて、すぐにしゃがんでを打つ。たいていはこの時梟が急に鳴かなくなる。それから母は一心不乱に夫の無事を祈る。母の考えでは、夫がであるから、弓矢の神のへ、こうやって是非ないをかけたら、よもやかれぬ道理はなかろうとに思いつめている。

 子供はよくこの鈴の音で眼をまして、を見ると真暗だものだから、急に背中で泣き出す事がある。その時母は口の内で何か祈りながら、背を振ってあやそうとする。するとくきやむ事もある。またますますしく泣き立てる事もある。いずれにしても母は容易に立たない。

 り夫の身の上を祈ってしまうと、今度は細帯を解いて、背中の子をりおろすように、背中から前へ廻して、両手にきながら拝殿をって行って、「好い子だから、少しの、待っておいでよ」ときっと自分の頬を子供の頬へりつける。そうして細帯を長くして、子供をっておいて、その片端を拝殿のにりつける。それから段々を下りて来て二十間の敷石を往ったり来たりを踏む。

 拝殿にりつけられた子は、の中で、細帯ののゆるす限り、広縁の上をい廻っている。そう云う時は母にとって、はなはだな夜である。けれどもった子にひいひい泣かれると、母は気が気でない。御百度の足が非常に早くなる。大変息が切れる。仕方のない時は、中途で拝殿へって来て、いろいろすかしておいて、また御百度を踏み直す事もある。

 こう云う風に、幾晩となく母が気をんで、の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔にのために殺されていたのである。

 こんない話を、夢の中で母から聞いた。

第十夜

庄太郎が女にわれてから七日目の晩にふらりと帰って来て、急に熱が出てどっと、床にいていると云ってさんが知らせに来た。

 庄太郎は町内一ので、善良な正直者である。ただ一つの道楽がある。パナマの帽子をって、夕方になるとの店先へ腰をかけて、の女の顔を眺めている。そうしてしきりに感心している。そのほかにはこれと云うほどの特色もない。

 あまり女が通らない時は、往来を見ないで水菓子を見ている。水菓子にはいろいろある。や、や、や、バナナをにに盛って、すぐに持って行けるように二列に並べてある。庄太郎はこの籠を見てはだと云っている。商売をするなら水菓子屋に限ると云っている。そのくせ自分はパナマの帽子を被ってぶらぶら遊んでいる。

 この色がいいと云って、などを品評する事もある。けれども、かつてを出して水菓子を買った事がない。ただでは無論食わない。色ばかりめている。

 ある夕方一人の女が、不意に店先に立った。身分のある人と見えて立派な服装をしている。その着物の色がひどく庄太郎の気に入った。その上庄太郎は大変女の顔に感心してしまった。そこで大事なパナマの帽子をってにをしたら、女はの一番大きいのをして、これを下さいと云うんで、庄太郎はすぐその籠を取って渡した。すると女はそれをちょっとげて見て、大変重い事と云った。

 庄太郎は元来の上に、すこぶるな男だから、ではお宅まで持って参りましょうと云って、女といっしょに水菓子屋を出た。それぎり帰って来なかった。

 いかな庄太郎でも、あんまり過ぎる。じゃ無かろうと云って、親類や友達が騒ぎ出していると、七日目の晩になって、ふらりと帰って来た。そこで大勢寄ってたかって、庄さんどこへ行っていたんだいと聞くと、庄太郎は電車へ乗って山へ行ったんだと答えた。

 何でもよほど長い電車に違いない。庄太郎の云うところによると、電車を下りるとすぐと原へ出たそうである。非常に広い原で、どこを見廻しても青い草ばかりえていた。女といっしょに草の上を歩いて行くと、急にのへ出た。その時女が庄太郎に、ここから飛び込んで御覧なさいと云った。底をいて見ると、は見えるが底は見えない。庄太郎はまたパナマの帽子を脱いで再三辞退した。すると女が、もし思い切って飛び込まなければ、にめられますが好うござんすかと聞いた。庄太郎は豚と雲右衛門がだった。けれども命にはえられないと思って、やっぱり飛び込むのを見合せていた。ところへ豚が一匹鼻を鳴らして来た。庄太郎は仕方なしに、持っていた細いので、豚のをった。豚はぐうと云いながら、ころりとっりって、絶壁の下へ落ちて行った。庄太郎はほっとといでいるとまた一匹の豚が大きな鼻を庄太郎にりつけに来た。庄太郎はやむをえずまた洋杖を振り上げた。豚はぐうと鳴いてまたに穴の底へげ込んだ。するとまた一匹あらわれた。この時庄太郎はふと気がついて、向うを見ると、の青草原の尽きるから幾万匹か数え切れぬ豚が、をなして一直線に、この絶壁の上に立っている庄太郎をけて鼻を鳴らしてくる。庄太郎はから恐縮した。けれども仕方がないから、近寄ってくる豚の鼻頭を、一つ一つに檳榔樹の洋杖で打っていた。不思議な事に洋杖が鼻へりさえすれば豚はころりと谷の底へ落ちて行く。いて見ると底の見えない絶壁を、さになった豚が行列して落ちて行く。自分がこのくらい多くの豚を谷へ落したかと思うと、庄太郎は我ながらくなった。けれども豚は続々くる。黒雲に足がえて、青草を踏み分けるような勢いでに鼻を鳴らしてくる。

 庄太郎は必死の勇をふるって、豚の鼻頭をいた。けれども、とうとう精根が尽きて、手がのように弱って、しまいに豚にめられてしまった。そうして絶壁の上へ倒れた。

 健さんは、庄太郎の話をここまでして、だからあんまり女を見るのはくないよと云った。自分ももっともだと思った。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいと云っていた。

 庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう。